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虚像を追いかけながら

その先に何もないことだけは分かっている

某ジャニーズJrの卒アルを見た



1ヶ月程前、数年前に某ジャニーズJrと同じ学校で同じクラスだったという知り合いから卒業アルバム等を見せてもらったりした。

今もジャニーズで活躍している人物であるので一応名前は伏せる。知人にも迷惑をかけたくはないので。ちなみに自担ではないです。

私はアイドルを現実に感じたくない。いわゆるお花畑と言われてもしょうがないが、あまり卒アルとかプラ写とかを積極的に見たい、とは思っていない。今でもそのスタンスは基本的に変わらないが卒アルを見せてもらうことによってアイドルの尊さと輝きをリアルに感じることができていい経験だった、と感じた。


卒アルの中にいる彼は舞台の近くで見た人間らしさの強い、一般世界に馴染みすぎていて、リアルすぎて無理だ、というものではなかったのだ。


それは不思議な感覚だった。その知人からすると彼は彼でしかないらしい。全然有名ではないただのクラスメイト。ジャニーズJrらしい、売れてないでしょ、そのくらいにしか思ってないようだ。気取ってるよね、くらい。アルバムの中の彼はたしかに周りよりもかっこよく見えたがヲタクでなければ関心を特別持つようなものではないとも思った。

しかしTVを付けて彼を見てみる。彼はみんなに、観客に求められるアイドルだった。彼がいるだけで、出てくるだけで歓声が降り注ぐのだ。彼はたしかにアイドルなのだ。


なんでもないクラスメイトがヲタクには人気アイドルである、尊い。この矛盾が不思議であり尊い。



親に「あんたのクラスメイトにジャニーズJrとかいたらどうなってたんだろうね、やっぱり○○ちゃん(知人名)みたいに冷めた目で見てたのかね」

と言われた。


私の昔のクラスメイトで今でこそ連絡をとってないが当時はわりかし仲のよかった友人が某人気雑誌の専属モデルになっていることを思い出した。

そして自らのアルバムを見て当時のことを思い出しながらもしクラスメイトにジャニーズJrがいたら私はどうするんだろう、と思い巡らせた。

私はモデルになった友人のことを芸能人として、サインをもらう対象として私は見ることが出来ない、馬鹿みたいに騒いでいたあの日々が彼女との全てだった。自分の卒アルに映るモデルの友人はわたしのただの友人としてしか認識できない。それが彼女に感じる全てだった。キラキラした世界の人という認識は彼女の載る雑誌を見ても、ドラマを見ても感じない。


そう考えるおたぶんジャニーズタレントがもし私の卒アルにいたとしても、後に私がジャニヲタになって彼の仕事を認識しても、彼を芸能人として扱おうとは絶対思わないだろう。

クラスメイトとして出会ってしまったものは絶対にその関係が一生続いてしまうものだから。知人の卒アルに映る彼はヲタク視点の私が見たらアイドルの彼でしかなかった。撮り下しグラビアかよ、いけめんきらきらだないいな羨ましいな。そんな風にしか思えなかった。


だからアイドルとファンっていう関係で岩本照を知ることができてよかったと改めて感謝していきたい。アイドルの尊さを噛み締めた。


でも私は目の前に岩本照の卒アルがあっても手にすることはできないかもしれないとか考えながら。