読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

虚像を追いかけながら

その先に何もないことだけは分かっている

批判することはそんなに偉いのか


世の中のあらゆることには色んな意見があってそれぞれがそれぞれに意味をもっていてそれは基本的には尊重されるべきものだと思う。モラルに欠けていたりするものはこれに至らない。


友人でよく批判する人がいる、あらゆる物事に。ジャニヲタでも自担や他グループを批判する人がいる。そういうことは存在すべきだし存在せざるを得ないものだ。


でも批判をする人というのがなぜか私には格上に見える。解せない。というか格上になろうと、格上であるかのように話してる気がしてあの人種は本当になんなのか。

批判することができる、っていうことはその物事の良い面だけでなくて全て分かっていて、私はあなたよりもその物事についてなんでも知っている、批判できるほどなのですよ、とまざまざと見せつけるようにされている気がしてならない。

たしかにそうかもしれない。「好き」って気持ちってこの世で一番もろいと思う。好きを支える明確な理由がなくても好きは成立するから。「嫌い」には大概明確な理由があるしそうでなければ「嫌い」と言うことはほとんど許されないはずだ。

でも私達ヲタクを生み出している根底にあるのは間違いなく「好き」という感情であるし「好き」がないと様々に世界は確実に回らない。
「好き」があるからこそ「嫌い」はこの世に存在することができると思うから。


肯定があるからこそ否定は存在できる。





だから様々に「好き」って気持ちを抱いている人々にはその好きって気持ちをできる限り大事守っていて欲しい。それは油断すると、油断していなくてもすぐに批判という矢にさらされるものだから。そして安易に自らも加わって批判することで「好き」の上に立とうとしてしまうから。でも「好き」の上に立つことなんて誰にもできない。「好き」という感情はそれに惹かれた者にしか感じることのできない唯一無二の貴重な感情だから。





批判する人には「好き」を今1度考えてから批判して欲しい。「好き」を傷つけることはとても簡単だ。あっけなく崩れる。もろい。とてつもなく。だから批判しがいがあるというものだ。誰かを傷つけることで上に立ったような気分になることは容易だ。そんな小さな世界で井の中の蛙となって批判することは何が面白いのだろうか。

批判するときには慎重に、「好き」という感情を否定することはしてはいけない。そこを攻撃することが一番簡単だが批判する上では最も犯してはならない。繰り返しにはなるが「好き」という感情は貴重なものであるから。






人の「好き」という感情を踏みにじる行為ほど醜いものはない。そんなことは誰にも許されない。






個人的には好きな人がいる男の子には恋心とは別に好印象を抱いている。「好き」という弱さをさらけ出せる男は最高に強くて素敵だから。


今日も私は岩本くんが好きだ。理由はない。