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虚像を追いかけながら

その先に何もないことだけは分かっている

なぜ自担に金と時間を与え続けるのかということの答えのようなもの

 

 

双眼鏡から延々と見続けるという行為が好きなのかもしれない、双眼鏡の先で綺麗に舞い踊る君を見ながらそんな風にふと考え始めた。

それは本来であれば、普通の恋や愛では許されない行為なのにあの空間で君にそれを向ける行為は許されるのだから。

 

おそらくそれは君の写っている写真や雑誌、DVDをひたすら買い続けたり、君の映っている映像を何度も巻き戻したり編集したりして何度も見たり、Twitterで無駄に好きだと叫んだり、何度も君の出ている舞台・ステージを見に行ったり、おそらく私が君という存在が好きだからという理由でする行為全てに言えるのではないか、と。

 

現実にいる岩本照という存在を私の中で勝手に再生成して、そのアイドルという名の岩本照に重く愛を注ぎ続ける。ひたすら注ぐ。

 

誰か1人に対して一方的に愛を注ぎ続ける。それは現実世界では本来あってはならないし非常に気持ちが悪い行為である。それでも君が相手であれば許される行為だ。そしてそんな行為を許してくれるものは私にとって岩本照という存在。

 

たぶんそれは誰でもよかったはずだ。たまたま私はそれがジャニーズJrでSnow Manというグループでエースをしているヤンキー顔でも可愛いと言われ続ける岩本照だったというだけだ。誰でもよかった。たぶん女の子でもよかった。誰かに、何かに重い愛を注ぎ続けることができさえすれば。

 

けれどここまで注ぎ続けるともう岩本照以外に愛を注ぐことができない。岩本照というアイドルの存在はどこにも保証されていない。それでも岩本照が半永久的にアイドルである世界でないと私は生きられないようになってしまった。だからこそSnow Manデビューしてくれとひたすら願う。デビュー組の器量があろうとなかろうと。岩本照という存在が永遠にさえなってくれればいいのだ。

 

 

それは私のためであってただのエゴだ。エゴだ。そんなエゴでも応援しているなどという誰かのためにしている行為だと、都合の良い文字に置き換えることができる。様々なグッズ、写真を買うのも岩本照のため、テレビを見るのも岩本照のため、私のためである行為のはずが岩本照のためだと言うことができる。自然に。

 

 

そんな行為ははたから見たら相当馬鹿馬鹿しい。頭がおかしい。自分のことを認識していない第3者に向けて愛を放つなんて気持ちが悪い以外に言える事はないだろう。

 

それでも人は結局自分のために生きているのであってそれはそれはもしかしたらごく自然な行為なのかもしれない。自分のため、自分が楽しいからこそ行う行為、することに違和感はない。はずだ。

 

ジャニヲタはおそらく本能のままに生きているのかもしれない。おそらく私はただただ自分の誰かのために愛を注ぎ続けるという快楽のために生きているのだと思う。それが今はたまたまジャニーズだっただけで、たまたま岩本照だっただけだ。

 

 

だから私はこれからも君に重い愛を注ぎ続けていくだろう。君に代わるそれを私はまだ現実世界で見つけることが出来ていないから。重い愛を注ぐ以上の快楽を私はまだ知らないから。

 

 

 

 

 

 

東京ドームで遠くで輝き放つ岩本照を双眼鏡で見ながら思った、私が岩本照に金と時間を与え続ける答えのようなもの。

 

 

 

初めてSnow ManがZIG ZAG LOVEという初めてのオリ曲を東京ドームの真ん中で歌い、舞い踊ったあの夜のことを私は一生忘れない。忘れたくない。

 

これからも君に注ぎ続ける重い愛とともに。